七尾城跡おすすめ城攻めコース

七尾城復元CG

本丸駐車場

このコースは山城の魅力を十分満喫できるコースです。

所要時間は1時間から1時間30分かかります。

途中、急な階段等ありますので歩き易い靴・服装で。

七尾城の説明看板の下に案内パンフレットあります。

山城を楽しむための呪文

見上げる・覗き込む・振り返る

それではチップ道に入ったら左手を見上げてください。

左の尾根が長屋敷、右の尾根が本丸です。

少し進むと切割が現れます。上から石攻めがと、見上げるとちょっと怖いです。


調度丸跡(ちょうどまる)

弓矢などの武具(ちょうど)を整えた場所。

多数の出土品が、ここで発見されている。

 

奥に五段に組まれた石垣、本丸へ続く石段が見えます。

早く本丸へ登りたい気持ちを抑えて、ここは眺めるだけに。

山城は下から攻めるのが基本。

旧大手道を降りていきます。


旧大手道(きゅうおおてみち)

旧大手道の石段を下りていく。

ここは振り返りながら降りていこう。

石垣と石段のコントラストが素晴らしい。

 

石段を下りて右手に広がる平地が、寺屋敷跡の曲輪。

三重塔があったと言われている。


樋の水(とよのみず)

場内の水源で、枯れた事がないという。

 

視界が開け七尾城下がよく見えます。

ここは、谷底をのぞき込んでください。

下を流れる川を「蹴落川」(けおとしがわ)と言います。

そうです、攻め入った上杉軍は、籠城で飢えや疫病に病んだ人たちを、足蹴にして崖下に蹴り落したのです。

川の水は血で赤く染まったといいます。

 

 


安寧寺跡(あんねいじ)

畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑などがある。

 

いよいよここから七尾城攻めです。

三の丸跡へ攻め上りましょう。


三の丸跡(さんのまる)

南北110m、東西25mを測り、曲輪の中で最大規模を誇る。

南側の二の丸とは、ふかい「堀切で」仕切られ、本丸を中心とした主郭軍とは別の曲輪群を構成する。

 

三の丸の見どころは、階段を昇ったら右へ進み谷をのぞき込んでください。大堀切です。

二の丸と三の丸を人工的に分断する大規模な堀切。

高さ26mにもおよぶもので、尾根筋からの敵の侵攻を阻んだ。

平生は吊り橋で繋げておき、いざという時は綱を切り落とした。

 


二の丸跡(にのまる)

この曲輪は、本丸に次ぐ第二の拠点であり、尾根の分岐点に築かれ、周囲をたくさんの曲輪が取り巻いている。

 

本丸への石段を下りると、右手にニ段組みの石垣、温井屋敷跡です。

 

 


九尺石(きゅうしゃくいし)

九尺(2m70cm)ある城の鎮護のかなめ石。

石の大きさにちなんでこの名がある。

 

ここには、格式高い大手門があった。

城主の力を示すために大きな石を使って石垣を作る。

大谷川からこの谷を登ってくるのが新大手道となる。

 


桜馬場跡(さくらのばば)

この曲輪は、東西の長さが45m、魔㎜僕の長さが25mあり軍馬の調練を行った馬場などと言われている。

北側の石垣は五段に組まれ、七尾城跡でも最大規模を誇る。


遊佐屋敷跡(ゆさやしき)

この曲輪は、本丸のすぐ西側に接し、七尾城跡の中心部にあることから城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷跡と伝えられている。


本丸跡(ほんまる)

いよいよ三段に組まれた石垣を左手に見ながら本丸に登っていく。

登りきるとそこには、畠山氏が169年間眺め、上杉謙信が絶賛し、前田利家も見た景色が広がります。

遠くの景色ばかりではなく、覗き込んで本丸の守りも楽しんでください。

 

次に後ろの方へ行き山並みをご覧ください。

遠くに見える山が石動山、上杉謙信が七尾城攻めの際に石動山城を築いたところです。

林道城石線でつながっておりますので石動山の方にもお立ち寄りください。


本丸外枡形(ほんまるそとますがた)

本丸からの下りは外枡形を通って下ります。

九尺石の大手門から続く西側の防御のため外枡形構造となっています。


野面積み五段石垣

山城・七尾城はいかがだったでしょうか。

七尾城跡は建物など一切残っておらず、石垣と曲輪跡があるだけです。

でも、あなたが歩いてきた道は、何百年の間、何万もの人々が生活し、また、戦で多くの人が血を流した道です。

いにしえに思いをはせながら歩くのが山城の楽しみ方ではないでしょうか。

石動山山系には、上杉謙信が築いた石動山城、本能寺の変に際し織田軍勢から七尾城と取り戻そうと蜂起した荒山城。

これら三城は林道城石線でつながっています。

是非これらの城も攻め落としてください。